8月15日。

capibara散歩日記

2011年08月15日 21:11

今日は第2次世界大戦の終戦記念日。
戦後を迎えて66年。

人間は1つでも賢くなっているんだろうか。


そんな問いを突きつけられた気持ちになった朝だけれど、
空の穏やかな姿が、そんな思いととても対照的だった。



うちの父は戦争中に、母はちょうど戦後になったときに生まれた。
「教え子を戦場へ2度と送らない」
そう固い決心をした教師たちから、貧しいながらも教育への熱意がある戦後を生き抜いて来た両親。

その2人も年金受給者となり、日本の社会の第1線から退いている。


その2人が見て来た夕日と、今日の夕日は何か違ったんだろうか。
何が違うんだろうか。


きっと、
きっと何も違わないと思う。

平和を希求して、創造し続けなればならないこと。
地球上のいかなる紛争にも武力の行使を永久に放棄する憲法に誇りを持つこと。

そして、自衛隊があることへの違和感を忘れないこと。


米軍もそうだけれど、そこで働く事を、生きる選択肢として社会に用意することで、人々を分断させ、目くらましな言説に説得力を与えている今を問い続けること。



100年経って、人間が1つ賢くなれば、僕は自分が生きてる事が無駄にならなかったんだ、と思うようにしている。

じゃないと、疲れるし、
あきらめたくなる。


あきらめたら、そこで終わるのだ。


世界に、自分と同じように夢も希望も持って生きている同じ歳の人が、戦争に巻き込まれて命を奪われているのならば、それは自分の痛みであり、世の中にとってもこの上ない不利益だと思う。
殺される事で、今後その人と出会える可能性がゼロになるということ。

僕の可能性もなくなっていく。。。



遠い国の話じゃない。
僕に起こっていることなんだ。



でも、
空は穏やかなんだ。
忘れそうになるよな〜。


でもね、
忘れない。

その葛藤こそ、人間に与えられた能力に1つだと思う。